トレッキング

滞在している宿から見える谷向こう、スマヤル村の奥に見える真っ白な雪が
積もる場所まで行く事にした。

谷を越えるには中国がKKH(カラ・コルム・ハイウェイ)のみならず、
隣接する国々で造り続けている『友好橋』を通る事となる。
もう一度、小さな吊り橋を越えて、スマヤル村の麓に着く。
そこから道がなくなる。
猫の額程でかつ背丈程の高低差のある段々畑のあぜ道を平均台のように
バランスを取りながら移動し、壁にはりついて段を登る。
子供以来使っていなかった筋肉を多用して登りきった。


谷の切れ込みをみつけ、そこからひたすら上り坂。
足下を見ながら登っていると、地面にキラキラ光る物が点在している。
そういえば、アルティットフォートを観光した時、窓に嵌るアクリル板のような
材質を指し近辺の山中で採れるマイカだと言っていた。
天然のものでも、結構な大きさがある。

雲母。
雲の母、うまいこというもんだ。


谷向こうから見た際は気が付かなかったが、襞のように重なる脊梁に隠れて
村が存在した。
突然平地に出て、そこにはアーモンドや杏、桃の樹がつける薄紅色で満たされ
る集落が有った。
桃源郷のイメージが具現化した。


そして登る事4時間、やっと雪のある場所に到着。
無謀にも雪を目指して、敢えて水を持たずに来た。
持ち合わせていた干しぶどうを雪に載せ、一緒にもさぼった。

冷たく甘い水が咽を通って落ちていく。
最高に美味い。


下りは3時間半、宿に到着したらあたりは暗くなっていた。


上り坂ではしっかり、ゆっくりと登り、下り坂ではリズムよく下る。
そして垂直に近い勾配では張り付き、そろそろと昇り、そろそろと降りる。
久しぶりに身体の動きを意識した一日、そして疲れた。

お前は、それである。

インドを離れて、多少冷静になれている。
なのでヒンドゥー教を中心として取りまとめ。
そこからインド的なるものを再考できれば尚良し。


ヒンドゥー教の区分けとして「多神教」と書いて来たが、そもそも
この言葉の括りに関して明らかな誤解があったようだ。


一神教」とは唯一絶対の神のみを認めて信仰する宗教であり、「多神教
とはそれぞれの神が固有の活動領域をもっている体系である。
一見ヒンドゥー教多神教に思えるが、突き詰めると多神教の概念からは
明らかに外れてくる。


キリスト教イスラム教を相対する原理の闘争とする二元論と表すならば、
ヒンドゥー教は一元論、それも不二一元論と記せる言葉が理解するにあたり
適当であるようだ。
まず、ブラフマン(梵)とアートマン(我)が存在する。
ブラフマンは万物に顕現する「神」であり、アートマンは「自己」を意味する。
難しい話だが、ブラフマン(梵)とアートマン(我)は同一であり、
そして現象世界は幻影のようなものだと位置づけられる。
世界はブラフマンであり、かつアートマンとまったく同一(不二)である思想、
それはもっと簡単単純かつ劇的な言葉で表現される。


「お前は、それである。」



シバ派、ビシュヌ派などと、様々な神に祈っているように見受けられる
ヒンドゥー教だが、教義の深淵部では、祈る対象の神々の向こう側に
ある最高実在(ブラフマン)に祈っている訳であり、かつそれは自己にも内在するもの
なので自分を包み込む世界と、世界を包み込む自分へと向けて祈っている事と成っている。

写真はクシーナガルの村にあった祠。
この祠はヒンドゥーの特定の神、例えばシバ、パールバティ、ラクシュミ、
そんな神様を祀ったものでは無い。

実はコレ、村の女性がそれぞれ、自らが作り上げた名も無い神を祀った祠である。
言うなれば、セルフメイドの神様。


なにも不二一元論を理解しなくても良い。
祈りやすいものに祈れば良い。
どんな祈りの対象物の向こう側にも最高実在であるブラフマンが横たわっているのだから。
それがヒンドゥー教の基本的な考え方。
だから、多神教に見えて、とんでもなく一神教
というより世界に存在する自分自身も神の一部であるのだから、言葉としては枠組み外。


この宗教のあり方ってのはとんでもなく生命力が強い。
全てを飲み込み、組み込み、吸収する事が出来る貪婪そのものの思想。


例を一つ。
ヒンドゥー教の三大神格の一つ、ビシュヌ神。
そのビシュヌ神はアヴァターラという10の化身を持つ。
ちなみにこれは英語、avatarの語源である。
その9つ目の化身に仏陀は組み込まれており、その化身が持つ意味は以下の通り。


偉大なるヴェーダ聖典を悪魔達から遠ざける為に、敢えて偽の宗教である
仏教をひろめた。


完全に咬ませ犬扱い。


ヒンドゥー教に取り込まれれば仏教もこの通り、より大きな存在の為の役割を与えられる。



思うに、日本の密教ヒンドゥーのその性格を色濃く受け継いでいる。
密教は7、8世紀ごろのインドで発生し、唐代に中国へ伝わったものを空海
日本へ持ち帰ったのが本邦での起こり。


密教大日如来を本尊とする深淵秘密の教え、と辞書には載っているのだけど、
これは色濃くインド、ヒンドゥー教的な思想を受け継いだものと考えられる。
まず密教最高神格である大日如来、これは宇宙の実相を仏格化した根本物との事。
そしてあらゆる場所、形に顕現できるので、権現とも呼ばれる。


全く持って大日如来ブラフマンである。
要は最高実在が密教においては大日如来という仏格を与えられているという
話にすぎない。
密教の対義語は顕教顕教とは言語や文字で明らかに説いて示された教えであり
その性格上、教義が固定されている。
が、密教はその名の通り深淵秘密の教えであり、大日如来を中心に都合良く
如何様にも変幻自在。


チベット仏教に関しても密教の性格が色濃く現れている伝承を読んだ。
8世紀、ティソン・デツェン王は仏教を国教としたが、土着の宗教が根強く
残るチベットの大地ではなかなか根付かなかった。
そこでインドから招聘されたのが、密教行者のグル・リンポチェ。
彼はチベット全土を回って土地の神々を打ち負かし、仏教の神々の眷属とした。
それ以来チベットの大地に仏教が根付く事になったという事だ。
土着の神々を飲み込み、仏教の神々の眷属にしてしまう。


他の宗教のあらゆる神々、その背後にある思想もろとも飲み込み、組み込み、
吸収してしまう貪婪さ、そのベースであるヒンドゥー教。宗教というより思想。


インド的なるものを理解する上で避けては通れないヒンドゥー教を考えてみて、
自分で書き連ねて来ても全くもってその本質にはほど遠い。
文章でうまく表現出来る気がしない。


だから、やっぱりインド式でいくしかない。


「お前は、それである。」


もう、全てを悟った気になってくる。

アルティットフォート

アルティット村へ行く途中には結構な高さの崖に架けられた橋を渡る必要が
あるのだが、怖さより、面白さが先立っていた。

高い所は苦手なはずなのだが・・・
自分の中に変化発見。


アルティトフォート、はフンザ藩王がバルティットフォートを造る前に居城と
していた場所。

チベット人の建築家により設計され建てられた為に、チベット建築に見られた
意匠や造型が目立つ。
やはり柱は根元が太く上へシュッと伸びる。

そんな些細な事でも、チベット文化好きとしては嬉しい事。
建築から判る通りフンザ藩主は代々チベット仏教を信奉していたが、途中から
イスラム教へと宗旨替えをしている。
よって屋上には新たに増築された礼拝所が置かれていた。
またこの城には増築部分があり、そこはこの地に駐留していたイギリス兵の
為の宿舎として使われていた。


宗旨替えから、城を外部の人間に提供するに至るまで、時代に翻弄されまくる
藩王の姿が目に浮かぶ。


屋上から眺めると迷路の様に入り組んだ集落、きっと戦乱時にはこの集落が堅牢な
城壁代りとなる。

王と市民、その関係性がこの造型を産む。


アルティットフォートを見た後は、山の上にあるイーグルネストへ。
フンザの谷を一望しながら食事。


そしてまた橋。

なんだかんだで結構歩いた。

お酒と宝石

禁酒国家であるパキスタンだが、フンザではお酒が飲める。
フンザパーニー、またの名をフンザウォーター。


ちょっと飲ませてもらったのだが、正直マズい。
杏やらから造られる果実酒らしいのだが、そんな洒落たもんじゃない。
高校時代に割って飲んでいた安い焼酎を思い出した。


ついでにここフンザの名産品として宝石が挙げられるらしい。
お土産として物色。


店にはフンザルビー、フンザサファイアフンザエメラルド、が並ぶ。
頭にフンザって付くのは本物じゃないのかと聞いたら、フンザで採れたから
付いているだけであり、本物だと言う。


色々な店で宝石を見て、話を聞いて、総合して判った事。
当然の事ながら本当に良い物は外の大きなマーケットへ出てしまっている。
こんな僻地にもバンコックからのジルコニアが出回っている。
やたらと透明度の高い宝石は、人工的に熱処理をしている。
天然の宝石は色に深みが有る。
グレードは高くなくとも、味のある宝石は存在する。


確実にフンザで採取された物として、フンザのお土産としてならば価値が
見出せる。
そういった価値判断で購入をした。
喜んでくれっかな。

フンザ お宅訪問

村人に誘われて、お宅にお邪魔をする。
ここいらの伝統家屋であり、興味深い。
立方体の箱のような内部構造で木の骨組み、土で造られた壁と天井。
真ん中の簡易ストーブに火がたかれ、煙突がそのまま天井に突き刺さっている。
天井中央の明かり取り窓から自然光が入ってくる。

入口は冬の寒さを想定してか小さく作られ、ちょっと屈んで入らなければ
ならない。
この土地ではイスラム教が信奉され、やはり男女の線引きがなされる。
入口入って左側は女性のスペース、右側が男性スペースという具合だ。
そのスペースはそれぞれ一段高くなっているので判り易い。

盛り上げて固められた土の床に絨毯が敷かれ、そこが男女別の団欒スペース
として機能している。
また団欒スペースは寝台としても機能するように出来ている。
寝る時も両サイドに寄って、性別で固まって眠る。
このお宅ではこの全部合わせて6畳程のスペースに夫婦二人と小さい息子二人、
娘二人と生活をしていると言っていた。

人の温もりも暖房システムの一部として組み込まなければならない程に、
冬が激烈に寒い地域なのだろう。
家自体も隣接する家々と壁を共有する長屋的な構造であり、斜面に造られて
いるので立体的な面白みがある。
この全体としてのかたちは、熱を逃がさない為の工夫でもあり、集団で暮らす
利便性の問題もあり、自然環境の厳しい土地での住宅は社会性昆虫の巣に
自然とすがたが似てくるようである。


お宅では伝統的なパンと、お茶をごちそうになった。
パンは味の無い、素朴な食感のものだった。
お茶は所謂、ブラックティーで、塩が入っていた。
生活習慣から塩分を摂る仕組みも、山間部ならでは。
色々と興味深い。

桃源郷

ジェームズ・ヒルトンの『失われた地平線』そして宮崎駿の『風の谷のナウシカ
そんな物語達のモデルとなった場所だと真しやかに囁かれるのがパキスタン
北山岳部、谷間に広がるフンザと呼ばれる土地。
陶淵明の『桃花源記』にあやかり、桃源郷とも呼ばれている。


サクラ、杏、アーモンド、梅、バラ科サクラ属の落葉樹が谷の斜面に植えられて
おり、三月下旬から咲き始める。
桃源郷の印象そのものを体験したくて旅程を調整して到着。
既に谷の底からアーモンドの花が咲き始めており、花見の習慣を持つ日本人
として感慨ひとしお。
日本で鑑賞するソメイヨシノの薄紅色の花びらとアーモンドの花びら、
舞い散る姿が似ている。


月明かりの中、舞い散る花びらをずっと見ていた。
こんなに素晴らしいものを見た夜は、隣に誰もいない事を寂しく思う。

胡蝶の夢

24時間バスに揺られていた。
真夜中、揺られながらの微睡みのなか、あぁ、明日はレンタルしている
DVDを返しにいかなきゃなって考えていた。


日本で住んでいた、日が全く差さない部屋で眠っている自分と、パキスタン
北部でバスに揺られながら眠っている自分が重なった。
この夢から醒めたら、一体自分はどちら側に居るのか。


目が覚めたら、自分は旅行に出ており、パキスタンに居た。
社会人生活をしている時は、やたらと物語を求めていた。
毎週末、5本借りると1000円になるレンタルショップで映画のDVDを借り、
一週間で必ず消化をするようにしていた。
往復3時間かかる電車通勤を利用して、二日で一冊の小説を読むようになっていた。


不幸な人間は物語を求めるという。
社会人生活を振り返る、だが、それほど不幸だったとは思えない。


今は旅行に出ている。希求した物語のただ中にいる。
だが、それほど幸せは感じない。


自分自身の中で当然それは、地続きであり、共通の地平の上にある。
よって平板な感情しか持ち上がってこない。


徒然。